正気と狂気と現実と幻実 『ドグラ・マグラ(上)(下)/著・夢野久作』

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ(下) (角川文庫)

ドグラ・マグラ(下) (角川文庫)

突然ですが、狂気と正気の違いはなんでしょうか。


私には分かりません。……すいません。
私の中で「この人は普通じゃないかも……」なんて日常の中で区別してしまうことがままあります。でも特に基準があるわけではなく、なんとなくで判断しているわけで、そこに客観性など微塵もないわけですが、ではそんな『正』と『狂』の違いを客観的に判断できるかというとそんな人はいないと思います。じゃあ何かで線を引いてみれば良いのでは? と思ったりもしますが、じゃあその線引きはどのようにすればよいのでしょうか? 非人間的な行動をとったものは狂人、とかですかね。でも非人間的って何でしょうか。動物的行動っていうことでしょうか。じゃあ動物的行動って何なのでしょうか? ……きりがないですね。
では明確な人間のルールの中で線を引いてみるとどうでしょうか。例えば『法律に違反するのはみな狂人だ!』と、このように言ってしまえば、日本人の半数以上は狂人になるのでしょうね。だって、交通に関する法律を完全に遵守している人は何人いるでしょうか。著作権その他に引っかからずにYou tubeを見ている人が何人いるでしょうか。まあその法律を作る立場の人間もまた法を犯すこともあることですし、法律に限らず、作り出したルールで分けようとするとそこには矛盾を孕むこともありますしね。そんなことをいちいち考えると『ドグラ・マグラ』の中の「人類みな狂人」という説がものすごく正しく見えてきますね。
そもそも、線引きするという行為自体が単純化するということであり、複雑怪奇なもの、特に主観性の強い形而上の複雑なものを分解もせずに単純化しようとすると、矛盾やら撞着やらで大変なことになってしまうような気がします。
まあ、何でもかんでも単純化しようと線を引き続けたら、そんな線で編まれた網は恐ろしい網になりそうですね。天網恢恢疎にして漏らさずとは言いますが、人が定める網に絡まるは、さて悪人だけでしょうかねぇ。まあ、その悪人さえも基準の線で分けられたものなのでしょうけども。
などと、中身のない戯言を並べてみました。


今回紹介させていただく『ドグラ・マグラ』は、なんといいますか、非常に奇妙な小説です。本当に何がなんだかよく分からなくなってしまいます。「何がまともなの?」と言いたくなります。文庫本の裏表紙には「これを読むものは、一度は精神に異常をきたす」と書かれていたのですが、それも無理からぬことかなと。そもそも文庫の表紙からして相当異様な雰囲気がありますし。ちなみに、この本を読み終えた私の精神が異常をきたしているかというと、全く自覚はありません。でも傍から見ればかなりおかしくなっているのかも……?
などと考えながら、『ドグラ・マグラ(上)(下)/著・夢野久作』を紹介させていただきました。畜大図書館だと夢野久作全集の中にあるかと思います。有名な作品なのでご存知の方も多いかともいますが、異常なものに触れてみたいという好奇心があればぜひ。
久々に出てきて何を紹介してんだかって感じですが、今日の私が正気に見えることを祈りつつ、このあたりで失礼いたします。
(とある畜大生)

※「とある畜大生」さんの言うとおり、畜大ではちくま文庫版「夢野久作全集」を持っています。「ドグラ・マグラ」は第9巻に収録されています(南閲覧室1階 文庫本コーナー にあります)。
ちなみに学生時代、「この本(=ドグラ・マグラ)を読むと必ず気が狂っちゃうってホント?」と友達に尋ねられたなあ…(笑)
さらにちなみにですが、角川文庫版の表紙イラストは米倉斉加年さんなんですね。(初めて知りました。)